類似箇所は役職、活動した地域と時代、姓、そして名の漢字です。
とはいえ、「顒」は日本人どころか大陸の人も日常的に使うことの少ない字です。
一般的に馴染みのない字ですから「昂」と似た漢字だと指摘されても実感がわかないでしょう。
今回は漢字辞典的な根拠を度外視し、「昂」と「顒」を入れ替えた2種類の呼び名を持つ人物を紹介します。
その人物は姓を王、名を璋、字を昂伯と記録されました。
明末から清初の「良吏」(良い地方官)と評価された人物です。
詳細は以下の中文サイトでどうぞ。名と字だけの確認でかまいません。
泉州文史资料全文库-王璋
泉港区划地名网-王璋
彼は清代にできた地方志10冊あまりに渡り、一貫して字を「昂伯」と記録されました。
例えば『重修福建台湾府志』 17卷めの記録が次の通りです。
王璋,字昂伯;台湾人。康熙癸酉举人。三十四年,分修「台湾郡志」。初为云南宜良令,洁己爱民;丁母艰,百姓数千吁留于云抚。璋素服,从间道旋家。服阕,起知湖广房县。寻升部主事,迁监察御史。卒于官。先に紹介した2番目のリンク先にはカッコ書きで「顒伯」と書きますが、そのような記述は見当たりません。
彼の字を顒伯と書くものは以下の画像です。王璋(别名)王六舍から取得しました。
余白にある文章は「清御史授朝議大夫(王)璋公像 公字顒伯.別號蓮洲.鍾鳴公之六子」
王璋は字を顒伯といい、王鍾鳴という人の六番目の息子だとわかります。
この鍾鳴との血縁関係はあいにく地方志には載りません。
『沙堤王氏族譜』という王一族の家系図の序文に初めて記載された模様です。
沙堤王氏族谱(蟹谷)福建
钟鸣公举人出身庄浪县令诰赐朝议大夫,四科父子同联捷。子际慧、原威公县龙海浦城教谕,璋公清台湾府第一位举人,户部员外郎、清御史授朝议大夫、内官首领右卿,王泰等一批举人进士。
鍾鳴には王璋のほかに際慧と原威という名前の息子がいたようです。
序文に王璋が清御史授朝議大夫になった、とありますから絵画の紹介文と一致します。
次に王璋のことを指す墓誌の記録です。
泉州人名录の「林孺」を見ましょう。文中の人名には下線部が引いてあります。着眼点は二箇所です。
一つめのポイントは「卿进士文林郎知湖广房县事姻弟王璋顿拜书并篆额」です。
湖広房県で働く姻弟の王璋との手紙が書いてあるのです。
姻弟とは婚姻関係上の親戚の男性を指します。中でも立場の上で同格か、年長者が年少の者に対して使う名称です。
地方志の王璋伝には「起知湖广房县」の文言があり、同じ王璋さんだと推測できます。
なお、林孺の生年は1639年、没年は1710年です。
王璋は生没年不詳ですが学者の推測により、1662年から1735年の間を生きた人物だと言われています。
両者の生存期間は重なるため、接点があってもおかしくはありません。
次のポイントは「天赐等以状请余志,而请颙伯 王君书」です。
林孺の末子が王璋の娘と結婚するにあたっての手紙の記録です。
王君(王璋)のことを顒伯と書きます。これが彼の字でしょう。
この記録は当事者かそれに近い人が記したはずですから、こちらが本来の字かもしれません。
以上が「昂」と「顒」が類似する漢字だという根拠です。
「これは偶然じゃないのか」とお思いの方向けに、次は「昂」と「顒」を名と字に持つ人物を紹介します。次の記事→名と字の昂顒
加えて王璋の字の補足をしました。特に読まずとも支障ありません。
新設ブログ開設おめでとうございます
返信削除ところで、昨年「文学遺産」の蔡文姫のpdfのリンクをつけてコメントしたものですが
もしpdfをダウンロードしていないようでしたら、どこかにアップか、
直接メール転送いたしますがいかがでしょうか。
>佐野尭さんへ
返信削除お返事が遅れました。コメントありがとうございます。
こちらの不手際で昨年のアップロードに気付かず、わざわざ印刷していただいたデータを貰えませんでした。
再度アップロードしていただくか、メールのzhenjigu111@gmail.comあてへ添付していただくと助かります。