2014年8月2日土曜日

黄家女と醜女の容姿

諸葛亮の黄夫人が本当は美女だった、という話の元ネタのような記録がありました。
それは戦国時代の尹文著『尹文子』にある、斉の黄公という人物とその娘の記録です。題して「黄家女」と呼ばれます。

齊有黃公者,好謙卑。有二女,皆國色。以其美也,常謙辭毀之,以為醜惡醜惡之名遠布,年過而一國無聘者。衛有鰥夫,時冒娶之,果國色,然後曰:「黃公好謙,故毀其子不姝美。」於是爭禮之,亦國色也。國色,實也;醜惡,名也。此違名而得實矣。
斉国に黄公という謙虚を好む者がいた。黄公には二人の娘がおり二人とも絶世の美女だった。しかし黄公は娘の美貌を謙遜しすぎて評価したせいで、娘は醜女として遠方まで知れ渡った。そのため黄公の娘が結婚適齢期を過ぎても、一人も結婚を申し出る者はいなかった。ある日、衛国の鰥夫(かんふ・妻のいない男の意)が軽はずみで黄公の娘を娶った。見ると娘は絶世の美女であり、鰥夫は人々にこう言った。「黄公は謙虚を好むあまり、娘を貶して美人でないと言ったのだ」と。黄公の娘が本当は美女だと知った人々は、競い合って黄公のもう一人の娘に求婚した。彼女もまた絶世の美女だった。黄公の娘が美女だったのは事実、醜いのは虚名である。これは虚名を避けることで事実を得た事例だ。
黄夫人は黄承彦の娘、かつ醜女で有名です。
黄夫人の史書に載る記録は、三国志裴注『襄陽記』の諸葛亮との結婚のことだけです。
彼女は醜女で名が知れていたため、郷里ではこの結婚について「孔明の嫁取りを真似してはいけない、阿承の醜い娘を貰うことになるぞ」という言葉ができたと伝えられます。
その逸話をひねって、黄夫人(または父)はわざと醜女の評判を広めて容姿にこだわらない男性を求めた、というのが黄夫人美人説の経緯だったかと思います。
ソースがないので確かなことはわかりません。どこ発祥の情報なんでしょうね。
美人説に限らず黄夫人の記録は『襄陽記』以外の史料で見かけた事がありません。今はソース不十分な点を置いておきましょう。

黄夫人は黄公の娘と同じ姓、そして醜女の風聞が広まっていたことで共通します。
実物を見ると絶世の美女だった、というのは黄公の娘にだけ記録があることです。
2つの共通点を3つに増やして黄夫人も美女だったんだ、というノリで出来た話でしょうか。
真相はわかりませんけど気になったので紹介しました。

細かい話をすると、斉の黄公の「黄」は正確には氏です。後代で姓としての黄に変わったので一緒なことですが。
大昔は男性が氏を名乗り女性が姓を名乗るという文化がありました。豆知識です。


黄夫人の美人説の信憑性自体は、正式な記録が出てこないためお察しください。
本当に美女だったら黄公の娘のように、ネタばらしな記録が裴注にあってよさそうなものです。
「黄家女」の鰥夫役にあたる諸葛亮が「いや本当は美女だ」と弁明しなかったせいで不名誉な言われ様だったのでしょうし、9割方創作話だと思って良いでしょう。
そう断言すると、美しい黄夫人が好きな方には不愉快かもしれません。
そういった方向けに、黄夫人を普通の美女にしない場合の代替案があります。
醜女だからと本当に現代人にとってのブサイクに描かなくてはならない決まりはありません。
ようは当時の醜女の要素を押さえれば良いのです。

黄夫人の見た目の描写は髪が黄色(あるいは赤茶色,毛が薄い)、色黒です。この2種類が記録上、彼女が醜女と呼ばれた特徴です。
他の醜女の例を挙げると、王隠の晋書(唐以前の史書)の賈充の娘の記録が具体的です。
彼女は色黒で背の小さい醜女です。
反対に同書の衛瓘(えいかん)の娘は色白で背が高い美女です。
そのほか、霊帝の寵愛を最も得た何皇后は『後漢書』にて身長が七尺一寸、およそ164cmだと書かれました。曹操よりも高いです。
これらの情報より背が高いことは美女の特徴、低いのは醜女の要素に分類分けできます。
つまり、色黒+黒以外の髪+低身長な女性にすると、顔が整っていても醜女だと言い張れるでしょう。
肌と髪の色さえクリアすれば十分黄夫人らしい見た目になるでしょうけれど、それプラス身長も考えてみてください。

注意点はこれらの美しいor醜い要素が一つあるだけでは美女or醜女にならないことです。
例えば臧栄緒の晋書には、司馬炎の妻・楊艶が後宮入りする女性を選定した時の記録があります。
楊艶は夫が自分以外の女性に入れ込まないよう心掛けました。
つまり見た目の良くない者を選んだのです。
しかし、あからさまな醜女ぞろいでは当然夫の不満が出ますし、嫉妬まみれな女だと思われれば楊艶の評判が悪くなるでしょう。
そこで彼女は背が高く、色白で、顔が端正でない太った者を選びました。
高身長と色白は衛カンの娘同様、美女の特徴です。
反対に、太っていることは醜女の条件です。
中国四大醜女のツートップ、戦国時代の鍾離春と後漢初期の孟光は、醜い特徴に肥えていることが挙げられました。
女官候補たちは背が高く色白ですから、特徴を聞く分には美女です。
とはいえ体型が太くては醜女の条件に触れるため、(顔立ちが良くないのもあって)美女だと表現するのは難しく、かと言って醜女とも言い切れません。
こんな風に微妙な線引きの女性もいたのです。
(顔を醜くしない)醜女を描く時は、複数の醜女の特徴を入れるのが好ましいでしょう。
一つだけでは醜女と呼ばれるのに不十分です。

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