2014年2月4日火曜日

    王異談:名と字の昂顒

    昂と顒の入れ替えで王璋という清代の役人を紹介しました。
    王璋は字を「顒」から「昂」へ書き改められたと思しい人物でした。
    今回は「昂」と「顒」の二字を名と字に持つ人物を紹介します。

    ここでの前提は、字の命名には名と関連する漢字を使うことです。
    以下時代順に並べました。

    名が顒の人物 計8名

    邢顒・子昂……三国時代の魏の人。
    彭徳顒・子昂…唐末から北宋の人。別名允顒。号が太郎。
    葉顒・子昂……北宋から南宋にかけての人。生年は1100年か1107年。
    廖顒・季昂……北宋の学官。生まれは1092年で1176年没。
    鄧顒・伯昂……明代の官吏。1410年生まれ。
    秦顒・士昂……明代の官吏。1435年に郷試、1442年に科挙に受かる。
    鄭顒・士昂……明代の学官。
    顧顒・昂夫……明代の医者。

    名が昂の人物 計4名

    包昂・顒叟……南宋の人。1133年生まれ1189年没。
    任昂・伯顒……元から明初の官吏。
    朱昂・顒甫……明代の学官。
    趙昂・伯顒……明代の官吏。号は竹溪。1445年に科挙に受かる。

    思った以上に人数が集まりました。一部、字が丸被りしていますね。
    「伯」は兄弟順の長男、「子」,「士」は男性の美称に使われる漢字のため「昂」と「顒」に関係なく使用頻度が高いです。

    他にもう一人該当する人物がいます。
    特殊なケースにつき、込み入った内容になります。余力のある方は閲覧ください。

    ☆特殊例

    沐昂・景顒……明の人。号は素軒。1445年没。『明史』は字を景高と書く。

    沐昂の元々の字は正史にある景高で、その名称が一般的です。
    景顒の呼び名は彼の著作物の作者名に使われました。
    字を変える原因は明の仁宗こと洪熙帝(1377-1425)の諱・高熾です。
    1年足らずの在位の皇帝ながら、国民は皇帝の諱を避けて文字を書く必要がありました。
    その影響で沐昂の字を景顒と改めた、と清の学者は指摘しました。
    原文を確認したい方は『維基文庫-滄海遺珠』をどうぞ。句読点がないので読みにくいですが。

    沐昂の字は景高が正しいとされます。
    それゆえ当記事の主旨の「昂と顒を名または字に持つ人物」にやや逸れます。
    ここで気に留めてもらたい箇所は「高」の置き換えに「顒」を使ったことです。
    避諱のために漢字を変える場合、通常は元の漢字と形か音、意味が似ているものを使用します。
    今の場合は字形と音が違うため意味で捉えましょう。
    「高」の意味はたくさんあります。物の長さ、価値、高貴さ、敬意など意義は広範囲に渡ります。
    一方の「顒」の意味は大きい頭、大きいこと、敬意を表すこと、仰ぎ見ることです。
    敬意の意味をとり、広義の「高」としては「顒」と類似していると言えます。
    が、「高」の一般的意味は「high」でしょう。
    名の「昂」には「high」の意味があり、かつ敬意を表す意味はありません。
    「高」は「high」の意を通じて字に使われたと推測できます。
    適切な置き換えには「顒」ではなく「崇」や「軒」などの「high」の意味を持つ漢字をあてるべきです。
    沐昂の字を改めた方は知識人ですし、そのぐらいご存知だったでしょう。
    それでも純粋な「高」の代用字を使いませんでした。
    「高」の代わりよりは寧ろ、名の「昂」に合う自然な字になるよう心掛けたのかもしれません。
    「顒」が「昂」に相応しい根拠は、前述のギョウさんコウさん合わせて12名の記録です。

    以上が趙昂と趙ギョウの名の漢字が似ている事例の紹介です。
    こんな調査はきっと誰もしません。ある意味で貴重ですよ。

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