唐の名詩人・白居易(772年-846年)字は楽天の詩に蔡琰が関係する作品があります。
蔡文姫を詠った詩ではなく、とある例えで詩に残りました。
該当の詩は『白氏文集』巻8「吾雛」,巻36「談氏小外孫玉童」,巻53「餘思未盡加為六韻重寄微之」です。
時系列では「吾雛」と「餘思未盡,加為六韻,重寄微之」が823年、「談氏小外孫玉童」が837年の作品です。
列女志補説
三国志関連の女性について調査中
2015年2月7日土曜日
2015年1月29日木曜日
列女伝に載らなかった蔡氏
前回紹介した明の『巵林』にある「文姫、明嫁董氏而終」について考えます。
『巵林』では蔡文姫が董祀の妻のままで一生を終えた根拠を「『後漢書』列女伝は蔡琰を羊衜の妻とは称しないから」としました。
そのため、文姫の姉妹が羊祜の母だと主張しました。
この意見には欠点があります。
『後漢書』の列女に聡明な姉妹がいる場合、列女伝はその事跡に触れているのです。
『巵林』では蔡文姫が董祀の妻のままで一生を終えた根拠を「『後漢書』列女伝は蔡琰を羊衜の妻とは称しないから」としました。
そのため、文姫の姉妹が羊祜の母だと主張しました。
この意見には欠点があります。
『後漢書』の列女に聡明な姉妹がいる場合、列女伝はその事跡に触れているのです。
2015年1月25日日曜日
『巵林』より、蔡邕一家について
列女伝の特徴では、列女は当時話題になった人生の一部分に焦点を当てられ、その生涯には言及されにくいことを述べました。
趙娥の記録にて、人生のハイライトだけが記録に残った趙娥のことを紹介しました。
晩年の事跡には触れられなかった蔡琰も趙娥などと同類の列女だと言えます。
しかし、その見方とは正反対の文献があります。
それは明の周嬰撰『巵林』にある匡徐の言葉です。
内容を分割し、後半部分は列女伝に載らなかった蔡氏に載せます。
該当の原文は以下抜粋。長いので冒頭部分のみです。羊コの母は文姫の姉妹だと主張します。
趙娥の記録にて、人生のハイライトだけが記録に残った趙娥のことを紹介しました。
晩年の事跡には触れられなかった蔡琰も趙娥などと同類の列女だと言えます。
しかし、その見方とは正反対の文献があります。
それは明の周嬰撰『巵林』にある匡徐の言葉です。
内容を分割し、後半部分は列女伝に載らなかった蔡氏に載せます。
該当の原文は以下抜粋。長いので冒頭部分のみです。羊コの母は文姫の姉妹だと主張します。
2015年1月18日日曜日
三国志パズル大戦の羊祜
スマホゲーム『三国志パズル大戦』に最近羊祜が追加されました。
その人物紹介文が一部で物議をかもしている模様です。
当管理人はゲーム未プレイにつき、羊コが登場したことは昨日知りました。
攻略サイトの羊祜の項目で確認できる紹介文は以下の通り。
その人物紹介文が一部で物議をかもしている模様です。
当管理人はゲーム未プレイにつき、羊コが登場したことは昨日知りました。
攻略サイトの羊祜の項目で確認できる紹介文は以下の通り。
2015年1月16日金曜日
烈婦趙娥の記録
列女伝の特徴の続きです。次は『巵林』より、蔡邕一家についてです。
趙娥は『後漢書』には龐淯の母と書かれ、息子の龐淯の列伝が『三国志』に載りました。
そして陳寿が龐淯伝のおまけに母の趙娥の事跡を載せました。内容は『後漢書』とほぼ同じです。
裴松之の注釈の皇甫謐列女伝には『後漢書』および陳寿の記述をさらに詳しくした文章があります。
趙娥は『後漢書』には龐淯の母と書かれ、息子の龐淯の列伝が『三国志』に載りました。
そして陳寿が龐淯伝のおまけに母の趙娥の事跡を載せました。内容は『後漢書』とほぼ同じです。
裴松之の注釈の皇甫謐列女伝には『後漢書』および陳寿の記述をさらに詳しくした文章があります。
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