2014年10月1日水曜日

    周瑜の家系-周彻

    周瑜の家系図に周瑜の娘の名があります。『江西吉安周氏族譜』に載るらしいです。
    ↓文書の10ページめに周瑜と娘の紹介
    http://wenku.baidu.com/view/8a81e7f804a1b0717fd5dd71.html

    他にも、http://www.360doc.com/content/12/1026/10/39549_243850816.shtml

    周彻(彳+切)が孫登の妻の名だと書かれます。
    周彻の兄弟にあたる周瑜の次男・周胤は200年10月28日生まれ。のちに孫家一門の娘を娶ったそうです。
    周胤には子が三人おり、次男の泰は219年8月16日生まれで妻は劉氏。

    ただ、周彻は周瑜の息子の名という記録もあります。
    それが周氏宗谱序十一篇http://www.zzhzqh.com/NewsShow.asp?id=138829
    炎陵周氏七修族谱序http://www.afxqw.com/TopicOther.asp?t=5&BoardID=8&id=2829

    次のサイトには「私の持ってる家系図では周彻が周瑜の息子になってる」と言う人もいました。
    http://www.chinazhou.com/home.php?mod=space&uid=3744&do=album&picid=8368#pic_block

    男と女、好きなほうを信じましょう。周瑜に周彻なんて子はいないと考えてもよし。

    周彻が男と書かれる記録では、その息子が有名人と同名になっていました。
    周氏宗谱序十一篇では晋の武将・周旨、炎陵周氏七修族谱序では周魴の父です。
    後者には周魴の子に周処の名前があります。ですが世代的に厳しいです。
    周処は生まれが236年または238年だと言われています。『晉書校勘記』より。
    175年生まれの周瑜の曾孫になるには、曾祖父(周瑜),祖父(周彻),父(周魴)がコンスタントに20歳程度の若さで子をもうけ続けねばなりません。
    大体周魴は呉志に立伝された人ですから、周瑜のような大物の家系ならその旨を伝記に書かれたはずです。この家系図は作り物ですね。
    なお、周処の祖父は晋の陸機の『晋平西将军孝侯周処碑』に周賓だと書かれました。こっちが正解でしょう。

    周彻が周旨の父の場合はなんとも言えません。
    周旨は個人の伝がなく『晋書』杜預伝に事跡が載ります。誰の子とか誰の父だとかは記録されません。
    周旨の活躍時期は三国志の後期、270年代です。周瑜の孫でも可能性はあります。
    呉の重鎮の子孫が呉を滅ぼす側についたってのは変な話ですが、否定材料は特にないです。
    この系譜では周旨の子は俊といって、揚州刺史になったそうです。

    周彻が男だと家系図がややこしくなりますね。あまり参考にしないほうがいいかもしれません。

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