2014年10月7日火曜日

魯粛の三夫人

魯粛の夫人の墓が嘉魚県の鵝塘という所にあるそうです。
墓の画像と説明が次のサイト。リンク先の画像は2010年に改修された墓です。その前にあった墓は文化大革命の時に壊れたらしいです。
嘉鱼鹅塘鲁肃三夫人墓http://www.360doc.com/content/14/0422/21/5334394_371250581.shtml

魯粛には子が7人いて、第四子の魯乾貞の実母が曹氏といい誥命夫人に封じられました。
乾貞の継母が程氏、三母が孫氏、妻が趙氏。
三人の魯粛夫人と息子の妻と子二人が254年に鵝塘へ移住しました。
呉の太平年間中(256年10月-258年10月)に三夫人は相次いで亡くなり、鵝塘に墓が建てられました。
魯粛の四子が鵝塘の魯一族の始祖という話で、子孫は三夫人の墓を大切にしてきた模様です。

魯粛の妻は曹氏、程氏、孫氏の三人だそうで、正室は曹氏であとの二人は側室でしょうね。
魯粛の妻を一人選出する時は曹氏で良いでしょう。呉の皇帝から夫人の称号を賜った人です。

他にも同じような事が書いてあるサイトが以下のとおり。
【原创】鲁肃与鹅塘http://blog.sina.cn/dpool/blog/s/blog_4eeb43d40101hhhr.html
咸宁温泉_ 鲁肃夫人墓http://www.artxiu.com/newsview-324.html
嘉鱼鹅塘鲁肃文化研究http://www.zhihuiruhai.cn/jiangxikejimaxueyuanjiaowuchu/7.html

『嘉鱼鲁氏宗谱』にいろいろ情報が載るみたいです。
魯粛の七子は乾元、乾亨、乾利、乾貞、乾龍、乾鳳、乾班だとか。
魯粛死後に生まれたと言われる魯淑は乾班でいいのか、そこは断言できません。
家系図の人物は正史と名や字、生没年までが違うケースがあるので参考程度にしておきましょう。

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