2014年10月24日金曜日

曹植の二女と名前

曹植の詩の中に、娘のことを詠ったものがあります。
一つは『金瓠哀辭』、もう一つは『行女哀辭』。どちらも早死した娘を悼んだ内容です。
以下原文は右記のサイトより拝借。http://jinyong.ylib.com/works/v1.0/works/poem-75.htm
『金瓠哀辭』、(序曰:)金瓠,余之首女。雖未能言,固已援色知心矣。生十九旬而夭折,乃作此辭。辭曰:在繈褓而撫育,尚孩笑而末言。不終年而夭絕,何見罰於皇天。信吾罪之所招,悲弱子之無愆。去父母之懷抱,滅微骸於糞土。天長地久,人生幾時,先後無覺,從爾有期。
『行女哀辭』行女生于季秋,而終于首夏。三年之中,二子頻喪。伊上帝之降命,何修短之難裁?或華髮以終年,或懷妊而逢災。感前哀之未闋,復新殃之重來!方朝華而晚敷,比晨露而先晞。感逝者之不追,悵情忽而失度,天蓋高而無階,懷此恨其誰訴?
金瓠は曹植の長女の名前で、生まれて19旬で亡くなりました。
「首女」は一番目の娘という意味です。首位,首席が一位を指すのと同様です。
行女は金瓠の妹で、晩秋に生まれて初夏に亡くなるという、一年足らずの人生だったようです。
この二人は亡くなる時期が近く、3年の間に次々夭折した模様です。
のちに彼女たちの名は固有名詞以外の意味を持ちました。
金瓠は早死した愛娘のことを、行女は次女を意味すると中国の事典や漢字辞典サイトでは載ります。漢典の金瓠行女を参照ください。

曹金瓠と曹行女、この二人が文献に残った曹植の娘です。
名詩人の娘ゆえに名前が残った稀有な例です。
卞后の名前も作品に残してくれたら良かったんですけどね。
『卞太后誄』は曹植の作で伝わっていますが、高貴な身分のため名や字の記載はありません。
作中に神やら天やら聖やらの神々しい漢字が複数回出てきます。セイント☆卞太后です
壮大な称賛よりも実名公開のほうが私的にありがたかったところ。
曹植自身、母の名前を史家が記録しないとは考えなかったでしょうから仕方ないことです。
ただ、曹植の手による卞后の評価と史書の記録を照らし合わせると、考察材料としておもしろくなります。
皇族には粉飾で盛り立てる逸話が往々にしてあり、いわゆる眉唾ものが存在します。
しかし曹植の詩作品に載る事跡は信用できる、という見極めができます。
折を見て『卞太后誄』に着手しましょう。

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