2014年10月18日土曜日

司馬懿弟・馗の妻

司馬防四子の司馬馗の妻王氏の墓誌がありました。
以下のサイトの5Pに書いてあります。
出版物と同じ文章のはずですけど、やたらと読みづらい配色になっています。
(精品)新出魏晋南北朝墓志疏证http://www.docin.com/p-793521497.html
あいにく墓誌自体の画像は出回っていません。
ここでは該当文章を百度百科の司馬馗から拝借します。
【志阳】惟晋太康三年十一月,我王皇妣大妃王氏薨。纯三月,协榇于皇考大常戴侯陵。王孝慕罔极,遂逊衮列,侍于陵次。以营域不夷,乃命有司,致力于斯坑,役夫七千功。天朝遣使临焉。国卿一 
【志阴】令二,以统事。既克其功,大祚宣流,上宁先灵,下降福休。子子孙孙,天地相侔。 陇西国人造可见司马馗谥戴,司马馗官太常,不见于史,应当是死后赠官。司马泰扩建墓地,所命“有司”,照理不是河内地方政府,而是他自己的陇西国王府属官
太康三年は283年のことです。司馬馗の妻王氏は283年11月の没で、翌年の3月に大常戴侯(司馬馗)の陵に埋葬されたそうです。
ここで気になるのが「純三月」という言葉です。
月日の言い方にこんな表現をするでしょうか。
【国学导航】で純正月から純十二月まで検索してみて、ヒットしたのは一件。
『续资治通鉴长编』卷四百七 元祐二年(丁卯,1087)の「杜純七月二十八日已知相州」という、人名と月日が連続して並ぶ文章だけです。
この例を参考にすると、司馬馗の王氏も墓誌の「純」は彼女の名か字なんじゃないでしょうか。
石でてきた墓誌の欠損はよくあることです。というよりも記録物全てにありえることです。
本来は純の上に「諱」「字」と書かれた部分が欠けてしまい「純三月」という変な言葉ができた、と考えると自然な文章になります。
墓誌の状態を見なければ、いや、見たとしてももはや断定できないことです。
変な字句を真っ当に読む場合、本人の名前だと思ったほうが適切でしょう。
ここでは司馬馗の妻を王純と呼べる可能性を挙げます。

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