2014年10月8日水曜日

甘寧の夫人と娘

甘寧一家が北宋・南宋時代に厚遇されていた記録がありました。
清徐松『宋会要輯稿』http://wenxian.fanren8.com/06/10/24/43.htm
甘宁祠。在永兴县池口镇。宋太祖开宝六年封褒国公。神宗元丰五年十月加号褒国武灵公。高宗建炎四年七月,加封昭毅武惠灵显王,王妻熊氏封顺佑夫人。并封其二子曰绍威侯、曰昭灵侯,女柔懿夫人。绍兴八年三月,别给敕。绍兴二十一年十月,加封昭毅武惠遗爱灵显王。 
甘寧祠。北宋の開宝6年(973年)に宋の太祖より褒国公に封じられる。元豊5年(1082年)10月に神宗(宋の6代目皇帝)より褒国武霊公と加号される。南宋の建炎4年(1127年)7月に加えて昭毅武惠霊显王に封じられ、王(甘寧)妻の熊氏は順佑夫人に封じられた。ならびに甘寧の二子は紹威侯、昭霊侯、娘は柔懿夫人に封じられた。
この甘寧祠は別名を昭勇祠,呉王廟と呼ぶそうです。以下のサイトより。
昭 勇 祠http://tw.027.cn/%E6%98%AD_%E5%8B%87_%E7%A5%A0

甘寧がなぜ後世で崇められるようになったか、詳しい事情は知りません。粗々探してみても有力な情報は見つかりませんでした。
興味のある人が調べていってください。荒川弘先生など。

今回は甘寧の夫人が熊氏ということと、甘寧に娘がいたことの2点が主な内容です。
二人とも名無しですが立派な封号を拝借して呼んでも良さそうですね。

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