2014年11月6日木曜日

収集大成と第二期まとめ

10月には多数、マイナーな女性を紹介しました。多くが家系図の情報です。
他にも記録は見つけましたが、一つ一つ記事にするには情報量が膨大です。
当記事では大ざっぱに家系図の収集結果をまとめました。
情報元のサイトは女性の名前の箇所にリンクさせます。
文頭の・が*の人物は先月に紹介済みのため、2014年10月分のアーカイブで閲覧してください。

2014年10月24日金曜日

曹植の二女と名前

曹植の詩の中に、娘のことを詠ったものがあります。
一つは『金瓠哀辭』、もう一つは『行女哀辭』。どちらも早死した娘を悼んだ内容です。
以下原文は右記のサイトより拝借。http://jinyong.ylib.com/works/v1.0/works/poem-75.htm

2014年10月18日土曜日

司馬懿弟・馗の妻

司馬防四子の司馬馗の妻王氏の墓誌がありました。
以下のサイトの5Pに書いてあります。
出版物と同じ文章のはずですけど、やたらと読みづらい配色になっています。
(精品)新出魏晋南北朝墓志疏证http://www.docin.com/p-793521497.html

2014年10月17日金曜日

鄧艾の家系-夫人劉氏

鄧艾の家系図の一部を紹介します。
家谱:高州邓氏开泰家谱http://sinotree.org/jiapu/i10178.html
邓氏家族支派竹邑欧家镇大堰村六滾凼http://www.dszq.org/detail.asp?id=2451
邓氏族谱(大部分邓氏客家人都属于这一系)中华邓氏族谱网宗亲论坛
http://www.360doc.com/content/14/0605/21/7205752_384095034.shtml

2014年10月16日木曜日

郭嘉の妻?龐氏

電子上の噂で郭嘉の妻の話がありました。
それは2010年12月3日にあった「三国志一の策士郭嘉の妻は誰?」との質問に対する返答です。

2014年10月14日火曜日

鍾会の夫人と子

意外にも鍾会の妻子の記録がありました。情報元は以下のサイトです。
钟氏直系简表(二)http://www.afxqw.com/disp.asp?boardid=8&id=1236&move=pre
大系七十世-接系十二世钟繇之直系五代http://www.zhonghome.com/jiapu/pudie/20111231954.html

2014年10月12日日曜日

王祥の家系-満寵の妻

『晋書』に立伝された王祥の系譜に、山陽の満寵に嫁いだ王仁の娘(以下王氏)が記録されました。
太原琅琊三槐王氏源流http://www.wwdoa.com/2013/0124/5937.html
王羲之家世第三篇第三章王羲之家族的近祖(19-31世)
http://www.wwdoa.com/2014/0403/14832.html
《太原王氏》(连载14)http://www.wwdoa.com/2013/0124/7010.html

2014年10月11日土曜日

孫登の前妻と周瑜の娘

孫権の長男・孫登の妃に芮玄(ぜいげん)の娘がいます。
孫登の妻といえば周瑜の娘が一般的ですけど、その前妻に当たる人のようです。
出典は三国志巻61,呉志の16、潘濬伝の裴注にある『呉書』の記録です。

2014年10月8日水曜日

2014年10月7日火曜日

魯粛の三夫人

魯粛の夫人の墓が嘉魚県の鵝塘という所にあるそうです。
墓の画像と説明が次のサイト。リンク先の画像は2010年に改修された墓です。その前にあった墓は文化大革命の時に壊れたらしいです。

2014年10月5日日曜日

姜維の夫人

姜維の妻について記録が見つかりました。
情報元は『大唐敕修烈山四岳天水郡姜姓古谱总世系』です。
その画像がこちらのサイトhttp://10000xing.cn/x032/2008files/20081123011944125.html

2014年10月4日土曜日

程昱の家系-応氏と許氏

程昱の家系図が見つかりました。
ここの8Pに程昱と昱父、昱子と妻の姓の記録あり。程昱の名が「元昱」になってますが気にしないでください。置き字のようなものです。
程氏受姓譜図http://www.docin.com/p-117962712.html

2014年10月3日金曜日

陳留呉氏の家系-呉莧

劉備の穆后の名が家系図にあるようです。劉備の系譜では見つかりませんが。
陈留吴氏 与赣闽台客家的历史渊源
http://www.kf.cn/blwb/html/2013-08/03/content_130460.htm
永兴吴氏宗谱
http://www.cnwu.net/zp/fp/wszp/201207/10664.shtml

2014年10月1日水曜日

周瑜の家系-周彻

周瑜の家系図に周瑜の娘の名があります。『江西吉安周氏族譜』に載るらしいです。
↓文書の10ページめに周瑜と娘の紹介
http://wenku.baidu.com/view/8a81e7f804a1b0717fd5dd71.html

2014年9月30日火曜日

第一期まとめ

ブログ開設から9月までの12記事を一覧にしました。
来月は記事投稿が多くなるので一度まとめます。
10月は信憑性度外視の人物情報大放出です。各記事はネット調査のみかつ文章量はまちまち。
以下に記事のリンクを並べた後、簡潔なコメントを付けます。

2014年9月27日土曜日

諸葛亮の妻・糜氏

明代の劇本に、黄氏以外の諸葛亮の妻妾が登場していたそうです。
記録は『曲海總目提要』巻34(以下、『曲海』)にあります。劇の内容自体は不明で、書評だけが残っています。

2014年9月9日火曜日

蔡文姫の生年と結婚時期

蔡琰の生年は177年の説が定着しています。
が、同時にこの生年は無理があるという指摘も前からあります。提唱者は不特定。

2014年8月2日土曜日

黄家女と醜女の容姿

諸葛亮の黄夫人が本当は美女だった、という話の元ネタのような記録がありました。
それは戦国時代の尹文著『尹文子』にある、斉の黄公という人物とその娘の記録です。題して「黄家女」と呼ばれます。

2014年7月7日月曜日

范史の悲憤詩

蔡琰の『悲憤詩』は范曄の『後漢書』(以下范史)に収録されました。
その詩は終始蔡琰の孤独な心情を詠みます。
『悲憤詩』の内容の影響で、蔡琰は蔡邕の一人娘というイメージが古来より付いて回りました。
そう思わせる詩句について触れてみましょう。

2014年6月30日月曜日

延長:取扱い注意の「姫」

取扱い注意の「姫」にて、貶されて「姫」呼ばわりされた前漢の丁太后に触れました。
彼女は定陶王・劉康の妾であり、正室の張氏には子どもがいませんでした。
丁太后が子を産み、子の劉欣が皇帝になったおかげで太后となった人です。
彼女に近い人物が三国志に存在します。
それは孫和の側妾・何姫です。

2014年6月28日土曜日

取扱い注意の「姫」

三国志の無名の女性に「」と名付けるゲームが散見します。
おそらくその慣例の火付け役になった人物は2001年発売『真・三國無双2』の甄姫です。
無名の女性が○姫と表記される実例は古代の中国女性によく見かけます。

2014年3月23日日曜日

三国志大戦の創作人物

三国志大戦のTCG版に郭王姫という女戦士が出ています。説明文は次の通り。
徐州の戦いの後、劉備とはぐれた張飛が救った領主の娘。賊を追い払う程の槍の腕前の持ち主だった。
説明文から察するに、これは京劇の創作人物・郭玉娘を改変したセガオリジナルの人物です。

2014年2月28日金曜日

卞后の母は異民族出身?

当サイトの卞后の髪の色にて、卞后が白人風の容姿だった異説を載せました。
説の根拠となる記録は、東晋の司馬紹とその母の経歴、そして卞后が産んだ曹彰の体毛です。
詳細は上記のリンク先で確認された上で、当記事を閲覧ください。

2014年2月4日火曜日

王異談:名と字の昂顒

昂と顒の入れ替えで王璋という清代の役人を紹介しました。
王璋は字を「顒」から「昂」へ書き改められたと思しい人物でした。
今回は「昂」と「顒」の二字を名と字に持つ人物を紹介します。

2014年1月26日日曜日

王異談:昂と顒の入れ替え

当方は趙昂が益州刺史趙顒と同じ人だと主張しています。
類似箇所は役職活動した地域と時代、そして名の漢字です。
とはいえ、「顒」は日本人どころか大陸の人も日常的に使うことの少ない字です。
一般的に馴染みのない字ですから「昂」と似た漢字だと指摘されても実感がわかないでしょう。
今回は漢字辞典的な根拠を度外視し、「昂」と「顒」を入れ替えた2種類の呼び名を持つ人物を紹介します。